多数決での意思決定と、ルールを修正していくプロセス
選挙などで 1人1票が正しい事を疑う人が少ないのは、算数を応用していく統計学が人類にはまだ早すぎるからかと思います。 コロナ対策で狭い空間でのマスク着用を義務化 みたいな政策()を100人住民の多数決で決めるのは愚かです。なぜなら、その本質的価値を見積もるには医学やその介入効果を解析する知識が必要だから。100人の愚民の「代表」の10人でも同様。 xxに投資をする、なども根底にはデータや知識に基づいた判断が必要で、多数決に向いてるのは とんこつor醤油 マーラーvsブルックナー みたいな人気投票てきなモノかと。もちろん、評価者の評価項目へのリテラシーを上げるほど評価の質が上がるので、そのコンテキストを「投票」に取り入れる必要があり、それはとっくに検索などで実現してるのだけど、なんせ法学とか行政を勉強した連中がITと算数に弱すぎて、人類は100年くらいそれで不利益を被ってます。 法律は間接的に武力と紐付いているので、その技術・文化としての質が紀元前の科学やバッハ以前の音楽レベルだとしても、利権を保持するチカラは強いです。 客観的な正しさや価値に向く態度や、効率を求めるなら、法律や士業を利権にしてる害虫は、ぜひITや数学・統計学を学んで頂けたらと思います。自然言語のみの考察だけでは所詮仲間内のポエムを脱せません。 そういうのが心地よければ税金が出ない所でお願いしたいです。